自己肯定感こそが、他人を認める源泉

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自分を認めるって、とても難しい事と思ってる人がほとんどの様だ。 

何故なら、肯定するって完璧を要求する事じゃなくて、欠点も含めて丸ごと存在そのものを認めて認証して上げる事にほかならない。

丸ごと存在を認めた時、私は私のままで振る舞えば良いんだと思え、気持ちに余裕が生まれ、人を丸ごと受け止め認め、勇気付け、励まし元気になって行く姿を見て、あぁ、こんな私でも人を元気にする事が出来たと、感謝と喜びに変わる。

中庸を摂って生きる事が、バランスを摂る生き方だ! 

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  宇宙は、真逆な事のバランスを摂る事の中で成り立っている。酸とアルカリ、陰と陽、プラスとマイナス、高いと低い、男と女、数え上げたらきりがない。
絶妙なバランスの上に成り立つのが、宇宙のリズムであり、周波数と言える。
ところが人間はこのバランスを摂る事が、大の苦手の様だ。白黒を付けたがり、中庸のグレイ灰色を曖昧な色として認めず嫌がるものだ。
この灰色こそが安定色であり、安心を与える色に他ならない。それ故に就職試験やお見合いの時など好まれる色でもあるわけだ。
宇宙のリズム自体がこの絶妙なバランスの上に成り立っているわけだから、こうあらねばならない思考を捨てて、柔軟に対応し、中庸のエネルギーが安定した落ち着きある生き方を目指したいものだ。 
 

真の親の役割りは、子供の自立を促すものだ!

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子供は、幾つになっても可愛いものだ。特に小さい内は、一緒に居て子供の一挙手一投足が親の感動であり、楽しみそのものである。

しかし、子供も自我が芽生えやがて、自分の意志を持つ様になり、必ずしも親の言うことを聞かなくなり、反抗期とやらもやってくる。

そんな時、時として親は戸惑い、あんなに素直に親の言うことを聞いた、従陣な良い子だったのにどうしちゃつたのと訝かり自分の育て方が間違ってたのかと妙に不安になったりもするものだ。

この時期の関わりは、子供に取っての後の人格形成に大きく影響するものだ。

子供は、親以外の外界の刺激を受け、ものの考え方、社会との関わりを自分なり探りながら、社会矛盾を目の当たりにしながら、良い子だけでは何か違うなと、考えつつ親に反発する中て、真の親の有様、真の甘やかしでない愛情を確かめたりするものだ。

親の真価が問われる大事な時だ。社会矛盾がある中で綺麗事では済まされない真の生きる力、此処に真っ向から向き合い子供としっかり向き合う勇気、ただ親子だからと言う体裁だけを保つ事に終始しない、大人の潔さ、言葉でないぶれない生き方等々、背中てしっかり見せる事が出来るかが、子供の自立に一番大切な事だと思うのだ。

どんなに仲良しこよしの親子関係でも自立を促す事が親の役割りなんだと認知しない親は一生懸命に育て、溺愛してもそれが仇になって返ってくる事も間々ある様に思われる。故に親自身も静かな時間、孤独な時間を自身の深化の為にも大切にしたいものだ。 

 

今までの常識が、常識でなくなる多様化の時代の到来が意味するものとは?

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インターネットの普及発達によって、商売にも否が応でも変化を強いられる時代がやって来た。

例えば、地域の本屋さんを例にとって考えよう。今までなら地域になくてはならない存在として、地域の住民達と調和して安定的に商売をする事が可能であり、店主さんは売り上げの中で家族を養い、子供を立派に育て上げる事が出来た。

時代の変化は激しく、小さな個人商店のみならず、イオンの様な大型店ですら出店見直しを掛けなくちゃならない程、売り上げダウンに繋がっている様なのだ。

家に居て、インターネット上の店舗からチョイスして自分の欲しい物を簡単にショピング出来てしまう時代なのだ。

それ故に、商圏自体が成り立たなくなり、地域の住民相手だけの商売は、ジリ貧になる一方なのだ。

私の店にいらっしゃるお客様の中に、高級ベットで有名な某会社の社長さんがいらっしゃるのだが、市場として売れそうなら、ドバイだろうが、カタールだろうが売り込みに行くと言うのだ。

そんな彼が、よく口にする言葉に、地域限定商圏の中で商売するマスター達は、逆に偉いねと言われてしまうし、全く以って彼の言う通りだし、年々厳しさを実感する日々なのだ。

こんな時代を生き抜くには、余程の覚悟と知恵を駆使して限られた商圏の中、少ないパイの奪い合いに勝ち抜いていかねばならない商売の戦国時代と言える気がするのだ。

又、消費者の皆さんの懐も年金が減らされたた、給与が減らされたと購買意欲を削ぐ様な条件ばかりが増幅し、苦しい家計状況が余計拍車を掛け、1円でも安い所にと向かわしめる状況を作りだすのだ。

インターネット社会の普及と、格差社会のダブルパンチを受けながら、今日も無い知恵を絞り出して孤軍奮闘する自分がいる。 

 

この宇宙で、物質として認識出来る物は、たったの3パーセント後は暗黒物質(ダークマター)だと言われる!

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この広い宇宙の中で、物質として認識されているのは、たったの3パーセントだと言われている。

後は、非物質だといれている。私が考えるには、物質でないとすると後は、意識で出来ている様なのだ。

詰まり宇宙空間は、意識の海で出来ているのかも知れない!目に見えない意識の海の様なものだとすると、ロマンがあり意識一つで、何もないと思われる空間から物質的な物が生み出される可能性が十二分にあると言う事だ。

この広い宇宙空間は、人知を遥かに超えた仕組みで出来上がっており、ある一定のエネルギーに達した時、物質化したり又、違ったエネルギーになった時には、ダークマターの暗黒物質に変化するのかも知れない。

調度、目には見えない魂と、物質化した肉体の様なものなのかも知れない気がするのだ。

こうしてたまには、夢想にふけって見るのも、良いかと思う今日この頃である。 

 

人の心を掴む事に長けた稀有な政治家、 田中角栄さん

田中角栄さんは、人の心を掴む人心掌握術の達人であった。

本当の意味で、地頭の良い方であったと思う!生活に根ざした日々の中、思考錯誤しながら、どうすれば、人の気持ちをくみ取り、又それにどう自分が分かりやすく、相手の立場に立った物言いが出来るのか、経験の中から組み上げ知恵として昇華しているんだと感じるのだ。

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ある演説のなか、あのダミ声で、「東北の皆さんは、寒い冬になると出稼ぎに旦那さんが東京に出て行かなくちゃならなくて、家族が父ちゃんいなくて、子供さん達が寂しい思いをしているでしょう、だから私はね、東京から2時間くらいで来れる様にしたら、企業も誘致出来て出稼ぎに行かなくても良い様に出来るでしょ、私はね、それを日本列島改造計画てやるんですよ」と分かりやすく人の心を掴む物言いをしているのだ。

いたずらに、難しく人心を煙りて巻く様な物言いは決してしていない事に気付く

そこに、角栄さんならではの卓越した政治家としてのセンス、資質を感じてならない気がする

こんな角栄さんの様にはとは言わないが、分かりやすく、この人に託して見たいと思う様な政治家を望みたいものだ。

人間関係の基は、自分関係を築き上げる事!

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他人との人間関係が上手くいかない、コミニュケーションが上手く取れない、こうした声はよく聞くものだ!

こうした場合、自分関係が上手くいってない場合が多い。自分関係とは、自分を認め好きになる事だと思うのだ。

自分が嫌いでは、人との関係に於いても常に、こんな自分だけれども、私を分かって、理解して、そして自分を認めてと、常に分かって分かってコールで、相手を認め、理解しながらコミニュケーションを取る事は愚か、会話のキャッチボールすら出来ない様になってしまい、人間関係に疲れてしまうものだ。

自分を認め、好きになった時初めて他人を認め理解しようと言う余裕が生まれると思うのだ。それ故に、人間関係の基は、自分関係をきちん築き上げる事に尽きる様に思われる。 

 

人間関係に疲れたのは、自分関係が築けない所以だ!

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よく人間関係に疲れた。もう職場に行く元気がないと言う人がいる。

こう言った人に限り、自分が嫌いで差して自分には取り柄がなく、人に認めてもらうものなどないと言う。こんな状況では人間関係が上手く行く分けがないものだ。

自分が嫌いでは、まして他人を認め、褒め讃える事など出来る分けがないものだ。先ず、自分自身を認め、好きになる事が良好な他人との関係を築き行く一歩になる。

至らない所も含め、丸ごと自分自身を容認した時、初めて人の意識は自分以外の人に関心が向けられる様になるものだ。

こうした意識になった時に、他人を客観視出来る様になり、認め褒め称えることが出来る様になり、自分の言動により、他人が元気になったり、感謝されたりして自分の存在意義を自ら知る様になって来るものだ。

自分自身との関係をしっかり築き上げ、自分を好きになり自分をこよなく愛し、自分を信じる事が出来る様になったら、後は人間関係の基本が確立した所以に他人との関係性は、丁度波乗りを楽しむが如く、面白くなって来る様に思うのだ。 

 

認めたくない、辛く、悲しい現実も認めた時に道は開ける!

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五木寛之さんのエッセイ、大河の一滴の中に衝撃的な体験を語られた箇所がある。それは、終戦を満州で迎え日本に復員する時、進駐して来たソ連兵に母親が目の前で凌辱されると言う有ってはならない、余りに酷い、辛い体験をされた事が赤裸々に綴られていたのだ。

五木さんの中では、記憶から消し去りたい、思い出したくない、人生の中でこんなにも理不尽な事があって良いものか、又、けっして有ってはならない、認められない唯一の体験だったのだ。

どんなに忘れ様としても、事ある毎に思い起こされる辛く、悲しい体験だったのだ。

そこで、五木さんはある時気付いたと言うのだ。認めたくない現実てあれば、ある程、丁度影の如く付きまとうと言う事を!

そこで、それを受け入れ認め全受容した時、その苦しみから解放され道が開けたと言うのだ。

人生に於いて、苦しく悲しいマイナスの要因こそ、受け入れ認めた時に人は癒やされ前進出来るものなのかも知れない気がする。